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最高の人生

【FGO】アントニオ・サリエリに狂ったときの感想文

※卒論が全く進まず毎日泣いて過ごしていたにもかかわらずLB1を爆速でクリアしアントニオ・サリエリ村の住民票を取って卒論そっちのけで書いた感想文です。

※当時存在していた別垢のふせったー再掲。

 

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みんな大好きだよねサリエリ。私も好きです。

 

いち音楽家であり、良き教育者であり、成功者であり、アマデウスの天賦の才を認めていたであろう男。
本人の意思とは関係なく、ただ世界に、無辜の人々に「そう在ること」を定められた男。

 

無辜の怪物、好きなんですよ。
名もなき大衆、掃いて捨てるほどの有象無象、庇護されるべき無名の人々。
いったい誰がそう願ったのか、いったい誰が彼を怪物たらしめたのか。きっと誰でもなく、誰でもある。あやふやな集合体としての「世界」に「復讐者」という役割と仮面と鎧を貼り付けられた、哀れな男。 その様はまるで、煌々と赤く燃える鉄仮面。怒りと憎悪、嫉妬と羨望、そして「勝手に与えられた」殺意を纏ったかのような、禍々しい姿。

 

アマデウスは究極の天才であって、音楽の神に愛された神の子であって、音楽そのもの。
だからこそ彼は音楽を生みだし、音楽を響かせ、音楽だけを愛する。
人は彼を解せず、彼も人を愛さない。
人が感じ取れるのは「彼が生み出す音楽の素晴らしさ」ただそれだけであって、彼自身は到底理解されるはずもない。
それどころか、無辜の人々にとって、至高の芸術であるアマデウスの音楽すら、単なる消費物でしかない。
アマデウス自身はそれを良しとし、人なんてみんなそんなものだよ、とカラカラ笑うのだろう。

 

その横でギリギリと歯軋りするのが、たぶん、サリエリだ。

 

彼も音楽を愛し、音楽に生きた男だ。
だからこそアマデウスが奏でる音楽の素晴らしさを、誰よりも純粋に享受することができる。
そしてその素晴らしさを理解しない、しようともしない大衆を、どれほど哀れに感じただろうか。
この美しい芸術を、人類史において最高と呼んでも良い至高の芸術を、人民大衆はただの消費物としてしか認識できない。

 

そんな愚かな人々を、きっと彼は笑ったのだろう。馬鹿馬鹿しく愚かな大衆め、と。
至高の芸術そのものであるアマデウスを手に掛けるなどできるはずがない。
彼の音楽を純粋に愛する男が、自らの手で其れを壊すなんて恐ろしいことがどうしてできようか、と。

 

けれど英霊としての彼は、「アマデウスを殺した男」という概念として、世界に定められてしまった。

 

彼が嘲笑ったであろう、無辜の人々の噂話。その集合体。其の姿のおぞましさたるや。
「そう在ること」を勝手に定められ、「そう在ること」を望んだわけでもないのに、拒む力さえ持てず、「そう在り続ける」ことしかできない復讐者。
復讐者の在り方。憎悪に燃え上がり、己の力で止まることもできず、ただただ憎み続けることしか許されない。
その圧倒的に"不毛な"在り方でさえ、彼にとっては勝手に与えられたただの「役割」でしかない。
けれどその「役割」は英霊としてのサリエリそのものであり、「そう在ること」でしか彼は生きられず、消えることさえ叶わない。

 

形無き憎悪を植え付けられた彼は、ある意味異端な復讐者なのかもしれない。
彼自身、何処からともなく、自分の内側なのか外側からなのかさえわからない、ただただ溢れ出てくる真っ黒な憎悪をその身に受けて、今にも破滅してしまいそうな。

 

けれど彼は音楽を愛する芸術家だった。
楽家であり、音楽家でしかなく、音楽家としか生きられない男だった。

 

この世界で彼に逢ってしまったから。
サリエリが愛する音楽そのものであるアマデウスに、彼に逢い、あろうことか約束なんてものまで交わしてしまった。

 

だから果たすしか無い。
世界が終わるその時まで、彼はピアノを弾き続ける。
音楽の無い世界に喚びだされた彼が、最後に世界に音楽を響き渡らせる。


美しい物語でした。
此処でしか存在し得ないからこそ、美しい物語でした。